【加茂の近代】 Esprit of Kamo
新着News! ▶申し訳ありませんが、6月のふるさと散歩「木津・加茂の『おもろい』石仏たち~幻の大仏鉄道を通って 」は満席となりました。▶7月のふるさと散歩「瓶原の井平尾・銭司を訪ねて~名水と和同開珎ゆかりの地 」は7月20日(日)は、受付中です。
【加茂の近代】 Esprit of Kamo
▶加茂駅の歴史
加茂駅は関西鉄道が明治40年(1907) 国有化され、国鉄を経てJR西日本になる。昭和63年(1988) 加茂駅までが電化され、奈良・天王寺方面の電化区間を大和路線、当駅より東の亀山方面を関西線と呼ぶようになった。平成11年(1999)、駅舎が改築され、橋上駅舎となった。加茂駅自体はそのような経営主体や路線、交通機能などの変遷を辿りつつも同じ場所で駅の同一性を保っている。
▶加茂は「幻の大仏鉄道」の始点であった
明治期の私鉄、関西鉄道の大仏線、いわゆる「大仏鉄道」は、明治31年(1898)に加茂駅から大仏駅まで開業(明治32年(1899)に奈良まで延伸)されたものの、わずか8年後の明治40年(1907)には、廃止されてしまう。
▶中国歴史学者 内藤湖南、瓶原に移る
大正15年(1926)、加茂の瓶原「恭仁山荘」に移る。昭和9年(1934)、満州国総理大臣の鄭孝胥が恭仁山荘を表敬訪問した。
▶画家 秦テルヲの瓶原風景
日本画家の秦テルヲ(1887~1945、享年59歳)は、子供が生まれた事を契機に、現加茂町の瓶原地区に居を移し、大正10年(1921)から昭和4年(1929)までの8年間そこに住んだ。それまでのデカダン的作風から決別して、より穏やかな作風に移っていった時期でもあり、数多くの瓶原の風景を絵画作品に遺した。
【付記:現代】
・堀辰雄 多恵子夫人と二人で浄瑠璃寺を歩いて訪ねる。馬酔木の花を観る。昭和十八年四月十四日 1943年4月14日。
・浄瑠璃寺宝池の調査、復原。九体仏の修理