【加茂の古代】 Esprit of Kamo
新着News! ▶申し訳ありませんが、6月のふるさと散歩「木津・加茂の『おもろい』石仏たち~幻の大仏鉄道を通って 」は満席となりました。▶7月のふるさと散歩「瓶原の井平尾・銭司を訪ねて~名水と和同開珎ゆかりの地 」は7月20日(日)は、受付中です。
【加茂の古代】 Esprit of Kamo
▶賀茂一族の土地
「加茂」は古代より「賀茂郷」と呼ばれ、賀茂一族の住む土地でした。
賀茂氏は、渡来系の秦氏とも関わりが深いとも言われ、加茂の近くには飛鳥時代に創建された「高麗寺」旧跡もあります。また、加茂北部にあり、恭仁宮のあった瓶原(みかのはら)という地名は、その南を流れる木津川の流れが「瓶(みか)」つまりお神酒等を入れる容器カメの形に似ているからだとも言われ、いかにも古代の趣を感じさせます。
【岡田鴨神社】
『山城国風土記』逸文によれば、建角身命は大和国葛城から山城国岡田賀茂を経て洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まったとある。崇神天皇の治世に賀茂氏によって、建角身命に縁のある岡田賀茂の地に下鴨神社より勧請を受けて創建されたものと伝わる。文献上の初見は『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条で、当社に従五位上の神階を授けると見える。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国相楽郡に「岡田鴨神社 大 月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている。(Wikipediaより)
* 1889年(明治22年)、この地の緒村が合併して「加茂村」となり、1923年(昭和3年)町制に移行し「加茂町」、1951年(昭和26年) 当尾(とうの)村、瓶原(みかのはら)村を編入して、現在の「加茂」として定着的な地域となっています。2007年(平成19年)の合併以来現在に至るまで、木津川市加茂町として存在しています。なお、江戸時代の有名な正徳2年(1712)の大水害の復興に当たって「賀茂」から「加茂」に改められたとされている。
▶恭仁京に遷都
・聖武天皇により、740年(天平12年)、平城京から恭仁京へ遷都。天平 15(743)年8月、大伴家持が恭仁(久迩)宮を詠んだ歌「迩の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし」が万葉集に収められ、恭仁大橋のそばには歌碑が置かれている。744年(天平16年)、難波宮に遷都され、恭仁宮跡は山城国分寺となる。七重の塔の礎石が今も残る。
・加茂は橘諸兄(684~757)の領地(井出)の近くだからという理由だとも言われる。つまり、乱を起こした藤原広嗣に応ずる勢力基盤から離れるため、橘諸兄の領地(井出)近くへの誘致を受けたためといわれる。
▶南都仏教
・縁起によると、 – 聖武天皇の勅願により岩船寺創建(729年(天平元年))、海住山寺創建(735年(天平7年))。946年(年) – 岩船寺本尊の阿弥陀如来像が造られる。